ikitikaのブログ

毒親から自分を取り戻すまでの記録

毒親と朝食

さいころ住んでいた地域は、母も生まれ育ったところで母校も同じ。

母の担任が私の校長先生といった学校でした。

 

朝ご飯はものごごろついたときから食べていません。

 

母が作ってくれた朝食を食べた最後の記憶は保育園かな。

 

卵の黄身をご飯にかけて、砂糖と醤油をかけかき混ぜて食べる。

 

大きくなってからどうして朝食を作ってくれなかったの?

と聞くと

 

だって作ってもだれも食べないから。

 

父は公務員で毎日の電車通勤とその後の移動も公共交通機関だったため

途中でトイレに行くことができず、また、おなかも弱かったし、酒の飲みすぎで

たぶん常に下痢だったので朝食は食べなかったと思われる。

母が自分の分だけ作って食べるということがなかったのが唯一の救いかな。

 

誰も食べなくても、作ってあってほしかったな。環境として。

いつでも食べれる状態にしてほしかったな。

だから、家族ドラマで朝食をみんなで食べるシーンがつらい。

 

その習慣は今でも続き、

私は今でも日曜の朝のみの朝食。

息子は毎日朝ごはんを食べるので

毎朝何を作ろうか、初めは苦痛だったが

今は、時々自分も食べるし、食べてくれる息子がいることがうれしい。

食べないと太りません。 当たり前か。