母が亡くなってから3週間もしたころ
母の姉に会った。
母が亡くなったと信じたくないそうだ。
お骨も拾ったが現実逃避を続けている。
小さい頃の私と母の話になった。
私を育てる母は、ちょっとでも私を批判したことを言おうものならかみついてきそうだったとのことだった。
例えば、そそっかしいとか、そんなことですらそうなりそうだったとのことだった。
あなたのことをすっごく愛していたんだわね・・・
私からすれば、それは私を通して自分の評価につながっていると母が考えていたからではないかと思う。
旦那にも聞いてみた。
ねえ、お母さん、私をすごく愛していたんだって。だから、ちょっとした批評にもすごく怒りそうだったらしいよ。
・・・
俺がおばさんでもなくなってからのお母さんを表現するならそうなるかもね。
悪くはいえない。そして
おばさんも頭の回路はお母さんとおなじだとおもうよ。
ああ、そうだった。
一瞬心が温まって家路についたがそんなわけないのだ。
やはり、このうちからは距離を置いたほうがいいと思った。
小さいころ住んでいた家はもう誰もいなくなって、
私の書いた日記や教科書が入っていた押し入れは空っぽで、
私が寝ていた部屋もがらんとしていた。
カギを開ける母がそこにいるような玄関、入ってすぐのトイレはもう水洗になっている
ぼっとんトイレでよくスリッパを落としたっけ。
ジョーズを見た後はトイレが怖くて。
キャリーを持た後はお風呂が怖くて。
庭には車が置けるほどだったが大きくなってしまうとなんてちっぽけな庭。
三歩で終わってしまうほどの小さな庭だった。
雀の死骸を見つけたときはそこに埋めた。
蝉の死骸も。
私の小さな友達のお墓。
とても怖い近所のおじいさんもとっくに亡くなっていて、二階建ての家も壊されていて門扉だけがぶらんと残っていた。
時代が止まったような私の故郷。
帰ってきてからの私は、少しあの頃に戻ってしまって。
なんだかナイーブになる。
心が疲れた。
不思議なことになにもない、誰にも支配されないというのに慣れていなくて何かと常に闘っていないと落ち着かない自分もいる。
本当に変わりたいのかすらわからなくなっている。
時間が必要。時間が必要。時間が必要。
気が付けば母の月命日。
まださまよっているはずの母が私を呼んでいたのか。
母は何を見ているんだろう。死んだってことに気が付いているだろうか。
本当なら私の一番の味方でいてくれて応援してほしかった。
本当ならいつも笑っていてほしかった。
本当なら自分のしたいことしていてほしかった。
本当なら幸せになっていてほしかった。