ikitikaのブログ

毒親から自分を取り戻すまでの記録

2020-01-01から1年間の記事一覧

救い

この経験を本にしよう。 そう思ったのは去年のこと。 今までの私の経験が今人生が毒親によって閉塞している人に役に立つかも。 幸い、肉体的な母が亡くなったことで私の中の毒親の血との戦いになっている。 編集者の人から色々とインタビューを受ける中で 母…

毒親ログ きょうだい

母が亡くなってから3週間もしたころ 母の姉に会った。 母が亡くなったと信じたくないそうだ。 お骨も拾ったが現実逃避を続けている。 小さい頃の私と母の話になった。 私を育てる母は、ちょっとでも私を批判したことを言おうものならかみついてきそうだった…

毒親ログ 睡眠

小学校2年生までは面倒を見ようと思っていたらしく、一緒に寝ていたが、3年生になった翌日 一人で寝ろ と言われ、奥の部屋に移された。 彼女の中のルールで生きるということがこれから先も続くとまだこの時はわかっていなかった。

毒親ログ 心のよりどころ

私の心のよりどころだった狸のぽんちゃんという人形、いつの間にかない。

幼馴染が連絡をくれた。 お母さん、亡くなったんだってね・・・。 死んだら、どんなに嫌だった人でもいいことしか思い出さなくなるよ。 って。 急いでこのブログに私の思いを残しておかないと、と切に思った。

毒親ログ ランドセル

ランドセル 卒業直後から見当たらない。 通知表 新しい家に引っ越してからどこにもない。 私の絵画や作品 母の使い勝手の良かったらしいブックエンドだけ残っている。 教科書 卒業直後からない

毒親ログ 天罰

時々母も機嫌がいい時が続くときがある。 しかしそれは嵐の前の前兆でしかない。 一週間ぐらい怒られないなと思っていると 突然夜、父もいる今に呼ばれる。 もちろん正座である。 こういう時はお父さんもきて二人で話しないと とか言われる。 ちゃんとってな…

毒親ログ 本当は母がしたかったピアノ

物心ついたころからピアノに通っていた。 母曰く、お前がピアノをしたいといったからだと。 家には電子オルガンがあり、それで練習をしていた。 先生からはピアノとはタッチが違うから早くピアノを買ってくださいと言われていたらしい。 その電子ピアノは家…

毒親と水筒

水筒は歩域園児が使うようなプラスチックのものを小学校でも使っていた。 もちろん、そんな旧式のものを使っているのは私ぐらい。 そのころ、みんなはステンレスの水筒になっており、当たり前だが漏れない。 遠足で私だけプラスチックの水筒で漏れがひどく、…

毒親ログ 心の崩壊

小学校4年生の時に給食が食べれなくなった。 単に食事が食べれなくなるのではなく、精神的に体が受け付けない。 食べると出したくなるし、出したらどうしようと心配になるの繰り返し。 給食の時間になると、配られた後むずむずしてきて、戻しようになる。 食…

毒親の旅立ちその3

毒親の母が亡くなってから二週間が経とうとしている。 この二週間左の肋骨が痛く、夜はこのまま寝てしまったら目覚めないかもという恐怖にも似た感じを抱くような痛みがあった。 お母さんに連れて行かれたらどうしよう… 寂しいって言いそうだから… 私もあの…

毒親と朝食

小さいころ住んでいた地域は、母も生まれ育ったところで母校も同じ。 母の担任が私の校長先生といった学校でした。 朝ご飯はものごごろついたときから食べていません。 母が作ってくれた朝食を食べた最後の記憶は保育園かな。 卵の黄身をご飯にかけて、砂糖…

毒親の旅立ち その2

一昨日母が亡くなって。 ドライアイスで冷やされて動かない母とおなじ部屋で1日過ごしてみて 動かない、何もされない、寝ている、死んでいるとやっと認識して今はかなり落ち着きました。 トラウマだー。支配されている。トラウマって人の心を支配するんだな…

毒親の旅立ち

昨日、母が亡くなりました。 5年間病院で過ごしたせいか、肌もきれいなまま。 だいぶわがまま言って看護師さんを困らせていたようです。 私ははじめ何回か面会に行きましたがその後は面会に行けませんでした。 どんなに時間をかけても一瞬で元の主従関係にな…

小さいときの自分を今癒す

ほんとに苦しかった小さかった時って、 なんで?なんでこうなるの?って 思いながら過ごすしかなくて、小さい頃はまだ再生能力も多いから 何となく日常が過ぎて行っていた感じがします。 大きくなってきていろいろとわかるようになってきてからは あんなこと…